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くるり『坩堝の電圧』
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 ここ最近ずっと、くるりの新作『坩堝の電圧』を聴いている。こんなに音楽に身を委ねているのは、本当に久しぶりだ。ずっと聴いていたくて、四苦八苦しながら初めてiPhoneに音源を落とした。会社の行きも帰りも、仕事中も、このアルバムを聴いている。

 正直に言うと、今回のアルバムにはほとんど期待をしていなかった。前作の『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』やその前の『魂のゆくえ』あたりくらいから、あまりくるりの音楽に寄り掛かることができなくなっていて、ライブも行ったり行かなかったり、情報も積極的には集めなくなっていた。今回もアルバムが出るのを知ったのはつい最近で、でも何となくいつもの流れで発売日に購入した次第。雑誌でことごとく「最高傑作!」と謳われているのも横目にしながら、割と平熱で聴き始めたのだけど、今やすっかりハマってしまっている。

 僕がこのアルバムを好きな理由は、大きく2つある。1つは、とにかく音楽性が雑多で、これまでくるりが挑んできたありとあらゆるジャンルや形態の音楽が一枚に収められているところ。割と彼らは、例えば『TEAM ROCK』だったらテクノ、『ワルツを踊れ』だったらクラシックみたいな感じで、その時々の彼らの中での流行が色濃くアルバムに反映されていたのだけど、今回はそういういろんな要素が曲単位で成り立っていて(もしくは1曲の中でもいろんな音楽性が蠢いていて)、とても楽しい。常々、僕はこんなアルバムをくるりに作ってほしいと思っていた。

 そしてもう1つの理由は、3.11以降のメンタリティが、作品にとても深く反映されているところだ。特にいくつかの楽曲の歌詞において、それが顕著に表れている。僕の知る限り、岸田君はこれまで、こういう直接的な表現をあまりしてこないタイプだったし、社会的なこと、もしくはバンドの身の回りのシリアスなことに関して歌っているのかなと想起させる歌詞はあっても、インタビューでそのことを具体的に話すようなことは少なかったと思う。うろ覚えだけど、昔SNOOZERのインタビューで、岸田君がSOUL FLOWER UNIONを引き合いに出して、「殺すな、殺させるな」って言ったら終わりなんですよ、みたいなことを言っているのを読んだことがあるけど、そういう風に、伝えたいことは直截的な言葉ではなく音楽で伝えるべきという美学を持っている人という印象が強かった(そこには京都人的なひねくれ気質ももちろん含まれていたとは思うけど)。

 だから、個人的にこのアルバムは村上春樹における「アンダーグラウンド」のような手触りの作品でもあり、そしてあの岸田君にそこまでの変化をもたらさざるを得なかった東日本大震災というものについて、改めて「お前はどのように向き合ってきたのか」と否応なく突き付けられるような作品であるとも思う。岸田君は、自分の日記の中で「多くの自分以外の人々の不幸が、まるで自分のことのように感じた」と書いていた。多かれ少なかれ、同じことを感じた人は日本中に、世界中にきっといっぱいいただろう。でもこのアルバムを聴いて思ったのは、岸田君はきっと、“ずっと”そのように“感じ続けていた”のだなということだ。

 東北から遠く離れた九州の地でサラリーマンなどやっていようものなら、日々の中でかの地に思いを馳せる時間などほんの一瞬で、どことなく後ろめたさを感じながらも自分のことで精いっぱい。仕方ないよな家族もいるし、放射能のことも何が本当か分からんし、などとどこかで言い訳をしながら、震災のドキュメンタリーなんかを見たときはやっぱりそれなりに胸が痛んで、でも2日後にはそれも忘れていつもの暮らしをしているような自分にとって、岸田君のこの震災への対峙の仕方は、本当に胸に迫るものがあった。表現者として、多くの人が手に負えないものを彼は引き受けてきたんだな、ということが伝わってくるからだ。そして、そのアウトプットの中に、「soma」や「沈丁花」といった真摯な曲と「chili pepper japones」や「argentina」みたいなアホみたいな歌詞の曲が同居していることに、思わず泣き笑いしてしまうような安堵感を覚える。悲しみだけを背負ってはいられないし、日常は続く。でも、どうあがいたって悲しみが続く人たちも、間違いなくいる。『坩堝の電圧』というアルバムは、3.11以降、一体どんな態度を取ればいいのか分からなかった日本人の心に、おもねるでもなく突き放すでもなく、優しく寄り添っているようにさえ見えるのだ。

 僕がこのアルバムの中で一番シンパシーを覚えるのは「のぞみ1号」という曲だ。


   そーゆうことかも知れないなと
   誰かが言おうとも
   あてにせず 背筋をただし
   あせることなく あきらめずに
   立ちはだかれ ここに生かされている
   あきらめずに 立ちはだかれ
   涙なんて流すな


 この歌詞の立ち位置に救われる思いがすると同時に、「涙なんて流すな、って言ってるけど、反対の意味で歌ってるみたい」と嫁さんが言ったとき、この曲の世界が本当の意味で開けていったように感じた。東北でもない、九州でもない、その間の東京と京都で、3.11や原発事故に向き合ってきた岸田君の、優しさと強さが溢れた歌詞だなと思う。

 さて、このアルバムを聴いて勝手に確信しているのは、このツアーは間違いなく楽しいということだ。福岡は、くるりと相性バツグンの福岡市民会館である。万障繰り合わせて、その頃お産になってもおかしくない奥さんのご機嫌も伺いながら、参戦したいなーと切に願う。

by rin_magazine | 2012-10-02 01:24 | おすすめの音楽 | Comments(0)


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