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ムスメとの半日
中1ムスメが、兄へ誕生日プレゼントをあげたいというので、「じゃあ天神でも行く?」と出かけることにした。MLBのワールドシリーズ第7戦が終わったら行こうということで、山本由伸の熱投を見届けてから出かけた。

天神へはバスで移動。18歳になる男子が喜ぶものが分からず、とりあえず若者といえばパルコだろうと福岡パルコへ向かう。ちょうど本のイベントをしていたので「本はどうかな?」と促してみるも、「本を人にあげるというのはその時点である種の圧力を感じさせるものがある」と固辞された。確かに。息子が中学を卒業するとき、鳥羽和久さんの『君は君の人生の主役になれ』をあげたのだが、彼がその本を開いた形跡はない。よく分かっているね。そんな私は、そのイベント会場で鳥羽和久さんの新刊を購入(自分のために)

そんな中ムスメは「天神怖い」「早く脱出したい」と言い出した。人が多く、この街が合わないと直感したらしい。「西新に行きたい」と、割と家から近い街へすぐに地下鉄で移動する。こっちの方が落ち着くようだ。プラリバという商業施設にてプレゼント探し。雑貨などを思案するが決め手に欠けて、ムスメは早々に「マークイズ行こう、歩いて」という。バスがあるのだが、彼女はよく歩いてマークイズまで行っているようで、お気に入りの神社があるので連れて行きたいと。道中にバッティングセンターがあったのでひとゲームだけ汗をかかせてもらった後、彼女の道案内でついていく。

近所でありながら一度も歩いたことのない道を彼女は慣れた感じで進んでいき、その神社はあった。福岡最古の稲荷神社だというそこは、道の角に鳥居とミニマムな社殿だけを設置したような、言われなければ素通りしそうな小さな神社。実は母親からは「稲荷神社には近づかないでほしい」と言われていたそうだが、彼女は自分なりに調べて「それは迷信だから母ちゃんにも分かってほしい。説得したいと思ってるんだよね」と話してくれた。2人で賽銭し、手を合わせる。彼女は長く願い事をしていた。何を祈ったのだろうか。

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神社を後にして、彼女の道案内は続く。樋井川沿いで立ち止まり「ここが海水浴場跡」と誇らしげに。この場所については話を聞いたことがあったのだが、もっと海側だと想像していたので驚いた。周囲はマンションや大通りがあり、ここが海岸だったとは想定外。埋め立てが進んだ証であろうが、灯台下暗しとはこのことだ。そして、ムスメが日々の散歩で私の知らない世界を広げていることに不思議な感慨があった。

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マークイズが近づいてきたところで、小さな画廊を見つけて入ってみる。

「絵をプレゼントするのも良いね」
「高いでしょう?」
「絵は高くても良いんだよ」

そんな話をしながら、野見山暁治さんや猪熊弦一郎さんの作品を眺める。現代作家の部屋もあり、一人とても気になる作家を知った。頑張れば手が出ない額ではなかったが、心に留めつつ画廊を後にした。ムスメは「ありがとう。こないだもここを通って、入りたかったけど入らなかったんだよね」と言っていた。「入ればよかったじゃん」「買わされたらどうしようと思って怖かった」。まだまだ怖いものがある中学1年生だ。怖いものを、怖いものとして受け入れている。

そしてマークイズに着いた。ここでも雑貨屋を見てみたが、これといったものに巡りあえず。逆に私はちょうどほしいと思っていたサイズ感の保冷バッグを見つけて購入。ムスメは「プレゼントはもういいや。また一人で買いに行くよ」と言っている。そして、2階のアパレルへ案内してくれた。

「ほら、ここ見て」

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そこは『コールアンドレスポンス』というブランドのショップで、洋服のタグに「パパこれ、よかね。」というコピーが入っている。数日前にこのタグを見て良いコピーだと思ったそうで、わざわざ連れてきてくれたのだ。このブランドのことは知らなかったのだが、「パパの洋服界隈の課題解決に特化した福岡発のメンズブランド」だそうで、簡単にいえばおじさんになっても小綺麗でいたい人向けなのだろう。ドンピシャにターゲットで、素材やデザインも結構好みのラインだったので3着ほど購入してしまった。さっきから自分のものばかり買っている。それでも、ムスメは自分が父ちゃんにおすすめした店を父ちゃんが気に入って満足そうだ。

昼過ぎに出かけ、帰る頃にはもう真っ暗になっていた。期せずして長い二人の時間になった。こうして二人で出かけてくれること、中学1年生ならかろうじてまだあることなのだろうか。多分、ずっとではない。彼女は苦手なもの、心落ち着くものを思うがままに選別し、私を遠くへ連れて行ってくれた。物理的には遠くではないのだが、私の知らないこの街と、私の知らないムスメの一面を見せてくれた。それはとても尊いことのように思えて、こうして記録している。

神社で手を合わせた彼女の願いが叶うことを願う。そもそも彼女は「神社では何も願わない」と言ってはいたが。そして、自分が納得できる兄へのプレゼントが見つかりますように。誕生日は4日後だ。

# by rin_magazine | 2025-11-03 08:55 | 子どもたちの成長記録 | Comments(0)
高3息子の、誰とも分かち合えない話
奥さんから聞いた話。高3の息子とこんな会話をしたらしい。

息「こないだ友達と集まってる時にスマホに『ロボット・ドリームス』の動画が流れてきたんだけどさ、その時に思ったことがあるんだよね」
奥「どんなこと?」
息「あの映画の中で、ウディ・アレンの『マンハッタン』をオマージュしたシーンがあると思う」
奥「え!分かる!ベンチのところでしょう?」
息「うん、そう。でもその話を、ここにいるどの友達に話しても共感してもらえないだろうなって、その時思ったんだよね」

彼は、そのことを寂しいと思った訳ではないだろう。むしろ、もっと映画を観たくなったのだという。深く潜らないと、知ることのできない世界がある。その豊かさを、彼は知りつつある。

# by rin_magazine | 2025-10-04 21:50 | 子どもたちの成長記録 | Comments(0)
学校に行く理由
中1のムスメが朝早く起きて友達に手紙を書いたからちょっと聞いてほしいという。今日が誕生日の子のために書いて、それを学校に持っていくという。

彼女は2学期になってから学校に行っていないのだが、数日前から少しの時間だけ行くようになった。友達の誕生日だけ登校するのは相手にとっても重いかと思い、地ならしの意味もあったらしい。

彼女が読み上げた手紙は、その友達の良いところ、尊敬するところを明確に書いていた。彼女の良いところは、人の良いところを素直に言葉にできるところだ。

「良いじゃん。こんな手紙もらったら絶対嬉しいと思うよ」
「良かったー」

そして、

「朝手紙渡したらもう帰るから。家に着いたらLINEするね」

学校に行かないことに、親としてはもう何も言わないようにしている。それが正しいのかは分からない。本人も将来への不安は口にする。でも足が向かないのだという。大切な友達の誕生日を祝いたいという気持ちが、重い足を動かしてくれるなら、その気持ちは大切にしてほしいと思う。

# by rin_magazine | 2025-09-19 07:49 | 子どもたちの成長記録 | Comments(0)
流雪光
少し長めの出張を終え家に帰ると、ムスメが友達とクリスマスパーティーをやっていた。昼前からたこ焼きを作ったりお菓子の家を作ったりしていたらしい。私が帰宅したタイミングで解散と相成り、少し家が遠い子を娘と一緒にお見送りしようと外に出たその時、大きな打ち上げ花火の音が聞こえた。

この街では、数年前からクリスマスイブに短い時間打ち上げ花火が上がる。コロナ禍で楽しいことがなかった子どもたちに元気をと、有志の大人が始めたと聞いている。その音が鳴った瞬間、打ち上げ場所のすぐそばを流れる川沿いまで、彼女たちはキャッキャ言いながら駆け出し、無心でにぎやかな夜空を眺めていた。数分の出来事。

皆興奮したのか、お見送りのはずが「公園に行こう」と誰かが言い出し、夜の公園でしばし時間を過ごす。今日一緒にパーティーをした子たちは、古くは保育園時代からの付き合いだ。4人組の小説家集団『流雪光(りゅうせつこう)』を名乗り、タブレットで一つのテキストファイルを共有し、4人で一つの小説を書くという活動をしている。誰かが書いた流れを踏まえ、その続きを別の誰かが書く、リレー式の執筆スタイル。完成を見た作品があるのかは知らないが、とにかく楽しそうにやっている。余談だが、『流雪光』は初期メンバーの3人が好きな漢字一文字を選び、それを繋げたらしい。

「月がきれいですね」
「私の方がきれいですわ」

くだらない会話で無邪気に笑い合っているが、やけに文学的なのが微笑ましい。私は『流雪光』のファンである。

帰り道、珍しくムスメが腕を組んでくる。ふと我に返ったように、彼女はすぐにその腕をほどいたが、子どものままの時間をともに過ごせる友人たちがいることをありがたく思う。なんてことないクリスマスの夜だったが、これ以上に特別な時間はあまりないのではないのかなと思い、書き残している。

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# by rin_magazine | 2024-12-25 08:28 | 子どもたちの成長記録 | Comments(0)
『パーティーが終わって、中年が始まる』を読んだ話。
phaさんの『パーティーが終わって、中年が始まる』読了。こういう本に出会いたかったような、出会いたくなかったような、複雑な気分である。
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とりあえずタイトルが秀逸だ。今さらだが、私ももう立派な中年である。だが心のどこかで、自分を中年とは認めたくない気持ちがずっとあった。それは、見た目や年齢への抗いではなく、どちらかというと感性の領域の話として。仕事でもプライベートでも、いろんなカルチャーや情報を吸収し、咀嚼し、アウトプットしてきた。それによってまた新たなカルチャーとの出会いに恵まれ、そうやって自分という存在を確立させてきた自負がある。

だがここ数年どうしたことか。まず、本が読めなくなった。夜、もう一踏ん張り仕事を頑張ろうとしても、体が持たなくなった。休日、起き上がることができなくなり、廃人のように一日横になっている。当たり前にできていたことにやたら時間がかかる。あんなに好きだった映画も、観に行く気力すら起きなくなった。そして、怖くなってきた。40代後半や50代という自分の未来が上手く想像できない。それなのになぜか責任だけは大きくなる。求めてもいない役割があてがわれ、自分だけがそこにそぐわないと明確に分かっている。それなりの社会人のフリをして生きてきたつもりだが、そんな立派な人間じゃない。運が良かっただけなんじゃないかと自己嫌悪にも陥る。

とうとう心療内科に行って、先生に言った。「自分の能力がどんどん落ちている気がする。プレッシャーで押しつぶされそうです。活力が出る薬が欲しいです」。本当は休みたい、逃げたいと言いたかったのに、薬にまで手を出してまともな社会人であろうともがいている。自分でもヤバいと分かっていた。まさにそんな時期に、この本を手にした。

この本の冒頭を読んで、「これ、俺じゃん…」と思った。そして、同じようなことを考えてる人がいるのだと、少し安堵する思いがあった。一方で、簡単に解決や希望を提示されてたまるかという思いもあった。幸いなことに、そんな解決法はなく、分かりやすい希望もなく、ただ少しのヒントのようなものが提示されていた。年齢とともに社会から求められる役割は変わる。そこに折り合いを付けられる自信は変わらずないが、多少の開き直りがあっても良いのではないかと、思えるようになった気がする。

幸か不幸かもらった薬は効いて、最後までスラスラと読み終えることができた。仕事も少しは活力を取り戻してきた。元気でいられるなら、薬の力を借りてでも元気でいたいと思う。これも一つの開き直りとして、記録しておく。

# by rin_magazine | 2024-07-15 21:25 | 読んだ本の感想 | Comments(1)